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エネルギーと自然サイクル

 
個人的シリーズ
「イン/アウトエネルギー論」第4話。

前回までの話で、

第1話で、

「人間には4つのエネルギーがある」

という話をして、
 
 
第2話で、

「自分/外側という“世界”と
 エネルギーの向かう“方向”でエネルギーが決まる」
 
という話をした。
 
 
そして前回第3話で、

「4つのエネルギーにはサイクルがあり、
 きれいにサイクルが回ることで幸せになるし、
 もし不足感があるなら、今の自分の課題が分かる」

といった話をした。
 
 
 
で、
考えてみたんだけれど、前回話したサイクルって、
まさに自然のサイクルそのものだよね。

人間とかだと直感的に分かりにくいかもしれないけれど、
植物は完全にサイクルに沿っている。
それはこんなサイクル。
 
 
 
まず種がまかれると、種を自らの力で割り、土の中から芽を出す。
そして、天に向かって自分を伸ばしていくわけだ。

この過程は、まさに前回までで話していた
「外へ、外へ!」の力。

「アウトサイドアウト」のエネルギーに他ならないと思う。
 
 
 
その後、自分の世界を伸ばしたところで、
太陽光や水、二酸化炭素などを自らに吸収して
さらなる成長を遂げて、木になっていく。

この過程は、外にあるエネルギーを自分の中に取り込む
「外から内へ」の力。

「アウトサイドイン」のエネルギーに相当する。
 
 
 
充分自らが育つと、今度は
花を咲かせ、次に実をみのらせ、他の生き物たちにシェアをする。

この過程は、自らの内側にあるエネルギーを外に放出する
「内から外へ」の力。

「インサイドアウト」のエネルギーなんじゃないかな?
 
 
 
そして、
実をみのらせたあとは、葉も散り、
外から見た限りでは変化を止めたかのように冬を越す。

でも、この冬の間にはおそらく、内に秘めたエネルギーが
次の成長の準備をしているに違いない。

深く深く「内に内に」の力。

「インサイドイン」の時期を過ごしているんじゃないだろうか?
 
 
 
そして、時期がまた巡ってきたら、
蓄積したエネルギーを、ビッグバンのように爆発させて、
また外へ外へと動き出す。

そんなサイクルを繰り返して、大樹へと育ってゆくんじゃないかな​。
 
 
 
 
よく、
「自然の摂理に沿って」とか、
「天地宇宙に従って」という表現がある。

無理なく生きると、あなたの持っている力が最大化され、
さらに「大いなるもの」の手助けも得られますよ、
といった意味。

「大いなるもの」の手助けを得るには、
感謝も必要かもしれない。
貢献する心も大切かもしれない。
愛なんかも大事かもしれない。

でも、まずは自分のサイクルに従って生きるのが
長期的には、自分も、他の人も、そして「大いなるもの」も
喜ぶ生き方なんじゃないかなぁ、と思う次第。
 

派手に成長が分かる時もあれば、孤独を感じることもある。

晴れの日もあれば、雨の日もある。

成長を実感しているときは、ガンガンその流れに乗ればいいし、
孤独を感じる時は、その孤独をもとに自分を見つめればいい。

晴れの日は、思い切り遊びまわればいいし、
雨の日には、雨の日の過ごし方があるだろう。
 
君が君らしく、自然の流れに沿えますように。


今回も手紙を読んでくれて、本当にありがとう。
ではまた、手紙を書きます。



空也
 
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人類の歴史も、「イン/アウト」

 
「イン/アウトエネルギー論」第5話。
今回で、一度休憩な感じかな?
 
 
前回、自然のサイクルも「イン/アウト」の
エネルギーサイクルに沿っているんじゃないか?
という話をしたんですが、

たぶん、大きな流れでは、人類の歴史も
エネルギーサイクルどおりに動いているんだろうなー
と考えてます。
 
 
まず「アウトサイドアウト」の時代。

いわゆる「力をもつものが偉い!」
とされていた時代。

より大きな土地を手に入れるために、
どんどんと開拓をしていき、
人が暮らしていける場所をどんどん広げていった時代。

その時にあらわれた障害は
「攻撃」「侵略」することで解決をはかり、
どんどん「外へ外へ」を繰り返していったということかな。

おそらく、この「アウトサイドアウト」の時代が
ピークを迎えるのは、いわゆる
「大航海時代」
なんじゃないかな?

自分たちの土地ではあきたらず、
船を用いて、当時の「未知の領域」にまで
進んでいった時代。

この時代は、アウトサイドアウトのエネルギーが高い人が
英雄視され、外へと目を向けない人は臆病ものの
レッテルが貼られた。
 
 
 
時代は移り変わり。

外へ外へというやり方では、
うまく機能しなくなってきた後に起こるのが
「産業革命」。

知恵を使って、自らの富を増やした人が偉い!
とされる時代に推移する。

「外へ外へ」の「アウトサイドアウト」から
より効率的に収益を得られるかが重要視される
「アウトサイドイン」の時代が幕開けする。

その時に現れた障害は、大きな力を持つ「資本家」が
自分たちの都合のいいように解釈した世界で、
労働者をコントロールしようとしたこと。

そんなことを繰り返して「外から自分へ」を
果たしていった。

この時代は、アウトサイドインのエネルギーの高い人が英雄。
大企業の創業者とか、投資家と言った
お金づくりのうまい人こそが素晴らしいとなった。

逆に、お金を稼げない人は、
社会的には弱者となってしまった。
 
 
 
そして。

我々の生きている現代。

それは「インサイドアウト」の時代に
移行した時代なんじゃないかな?と思ってます。

もはや「アウトサイドイン」のエネルギーで果たす役割は、
人類の最重要項目ではなくなっているのは
みなさまお気づきの通り。

お金を作る能力も大事だけれど、
人類をけん引するのは、もはや違うエネルギーに
移り変わりつつあると思うんだよね。

これからは、インサイドアウトのエネルギーが高い人が
英雄視される時代だし、すでにそうなっていることも多い。

自分の中にあるものを発信し、
それを受け取った人が多ければ多いほど、
その人はパワーを増していく。
 
「アウトサイドアウト」の時代に
より外へと行った冒険家や、侵略がうまい武将が輝いたように。

「アウトサイドイン」の時代に
より自分の所に富を引き寄せた資本家が輝いたように。
 
みんなが知っている人物の中でも、
思いつく人って、いるでしょ?
 
 
 
これからは自分のインサイドが充実していて、
その中身を人々に発信出来る人が輝ける時代。

逆に、自分のインサイドを誰にも受け取ってもらえない人は、
社会的弱者となり、寂しさを抱えたまま
辛い毎日を送る時代とも言える。

まぁ、これを読んでいる私の友達は、まったく問題ないと思うけど​。
(私自身が心配な人である以外(笑))

よりインサイドを充実させて、
より大胆に外へと発信出来る人間になっていきたいですね~
 
 
 
あと。

ここまで聞くと、
「あと、インサイドインの時代があるんじゃない?」
と思うよね。

私もそう思う。

たぶん、これから数百年の後には、
今のインサイドアウトの時代も終わりを迎え、
インサイドインが最重要視される時代が来ると思う。

今の私の想像力では、どんな時代になるのかはよくわからない。

たぶん、より深く自分を見つめて、
それを外に発信することもなく、自らに充実感を抱くような
時代なんだろうね。

「なにそれ?僧侶?」

みたいに思うけれど、
私たちの常識では考えられないような価値観が
また見つけ出されるんだろうね。
 
ということは、

よく「人類滅亡の危機」とか「終末論」みたいなことを言う
メディアもあるけれど、私個人的には
「全然問題ない」
と思うんだよね。

だって、いまやっと「インサイドアウト」の時代に入ったばかりで​、
これから数百年後には「インサイドイン」の時代がないと、
人類は役割を終えられないんだぜ?

今までの価値観が崩壊したり、
私たちが体験したことないようなことが起こるかもしれないけれど​、
人類は終わりゃしない。

私たちは今の「アウトサイドイン」から
「インサイドアウト」に移行した時代を生きる。

そして、見ることはない「インサイドイン」の時代の子孫に
命のバトンを渡すべく、今を生きれば、それでいいんじゃね?

私たちが、脈々と「アウトサイドアウト」の時代を生きた人たちから
命のバトンを渡されたように。


今回も手紙を読んでくれて、本当にありがとう。
ではまた、手紙を書きます。



空也
 

嫉妬という排気ガスを利用する

 
こんにちは、空也です。


自分が嫉妬する相手って、いるよね。

自分より頭が良かったり、
自分より人気があったり、
自分より恵まれているように見えたり。
そんな人。

でも、考えてみれば、

自分とは程遠い生活を送っている人には、
本気で嫉妬したりしないもんだよね。

ハリウッドセレブの生活に
「私より目立って、悔しい!キーッ!!」
って、本気で嫉妬するのは、
同じハリウッドで活躍している人か、よほどセルフイメージが高い​人。

オリンピック金メダル選手に
「なんだよ、スポーツしかできないくせに、私より恵まれちゃって​!!!」
なんて、普通は思わない。

だから、

今、自分が嫉妬している相手っていうのは、
少なくとも自分自身が
「あのステージまでは、簡単に行ける」
と思っている相手、ってことだよね。

ということは、

嫉妬させてくれる相手っていうのは、
自分にヒントを与えてくれている相手ともいえるわけだ。

だったら、うまいことその感情も活用した方が
自分のためになるかもしれないね。

最近は、
「いかに負の感情を材料化するか?」
ってことも、研究テーマ。

ポジティブだけでがんばるよりも、
ネガティブな力も推進力変えた方が
倍のパワーになるからね。

自分を燃焼させた時に出る排気ガスも
再利用してみる、ってのもいいんじゃない?(笑)


今回も手紙を読んでくれて、本当にありがとう。
ではまた、手紙を書きます。


空也
 

努力の末に手に入るもの

 
こんにちは、空也です。


それまでの生活がガラリと変わるようなことって、
一生のうちに何回かあるよね。
 
住む場所が変わったり、
仕事が大幅に変わったり、
パートナーが変わったり。
 
 
そんな大きな変化のうち、
自分にポジティブなものって、たいてい
 
「トントン拍子」というか、
 
「スーッ」と、スムーズに手に入れられることが多い。
 
 
人によっては、
血のにじむような思いをして手に入れた、
ということもあるのかもしれない。
 
また、それを手に入れるための過程としては
相当の努力もしたかもしれない。
 
 
でも、
 
うまくいく時って、
 
「今までの苦労は、何だったんだろう?」
 
「はじめから、こっちの方法でやればよかった」
 
って思うことが多いし、そうやってスムーズに進む事の方が
人生へのインパクトは強いような気がする。
 
君はどうだろうか?
 
 
 
素敵な恋人が欲しい!
 
と、自分磨きを一生懸命やっていた時期にはパートナーは現れず、
力をフッと抜いた時に、自分の隣にいつの間にか現れていたり。
 
 
仕事ですごい成果を出してやる!
 
と、こっちからものすごい頑張っているときは空回りして、
「ま、一応こっちもあたってみるか」程度の時に
思いもよらない成果を手にしたりもする。
 
 
じゃあ、はじめから力を抜いて、
ちょっとうまくいかなかったらすぐに諦めて、
別の方法を試せばいいんだよね?
 
となるかというと、それはやっぱり違うと思う。
 
 
後から見れば見当違いな努力だったとしても、
その努力をしたからこそ、臨んだ結果が手に入ったんだ、
と、思う。
 
 
 
そして、たぶんそれは
 
「大いなる存在が、あなたの努力を見ているから手に入った」とか、
 
「努力の“貯金”が貯まったから、目に見える成果で現れた」とか、
 
そんな事でもないと思う。
 
 
 
我々が頑張っちゃうのは、
 
自分自身が、
 
「欲しい“それ”を手にするためには、これくらいの努力が必要」
 
と思っているからなんじゃないかな?
 
 
 
素敵な恋人を見つけるためには、せめてこれくらいは頑張らないと。
 
仕事で圧倒的成果をあげるには、これくらいの努力はしないと。
 
 
 
そうやって、自分で自分を納得させて、
本当に欲しいものを手に入れた時に満足したいからなんじゃないかな?
なんて思うんだよね。
 
 
「人は、思い出を作るために一生を捧げるのだ」と、ある人は言う。
 
その通りだと思う。
 
 
 
今、私たちが努力しているのは、もしかしたら
 
「努力して手に入れた」
 
という思い出が欲しいからなのかもしれないねー。
 
 
 
もし今、君の欲しいものが、
 
本当に何の苦労もなく、
 
過去からの積み重ねも無関係に目の前に現れてしまったら、
 
君は、心から満足できるだろうか?
 
 
今回も手紙を読んでくれて、本当にありがとう。
ではまた、手紙を書きます。


空也

 

生命力

 
こんにちは、空也です。

誰だって、きれいなものだけを自分のまわりに集めていたいし、
自分が傷ついたりするのは、出来る限り避けて通りたいよね。
 

人並み以上に

「こわがり」

「見栄っ張り」

「自分が大事」

「うそ・おおげさ・まぎらわしい」

という私は、特にそうだ(笑)
 
 
「自分のことを褒めてくれる人と一緒にいたい」と思うし、

「チャレンジなんて、実は怖いし、面倒くさい」とも思う。
 
 
 
で、やろうと思えば、

自分に厳しい人を避けて、自分に甘い人だけ
そばにいてもらうこともできる。

チャレンジなんか、ひとつもしなくても、
日々を重ねることもできる。
 
 
 
でも。

そうやってどんどん自分を過保護にしていくと
いつのまにか、命がぼやけていってしまう。

自分の中にある生命力が、どんどん弱まって、

「もっと生きていたい!」

「あんなことも、こんなこともやりたい!」

といった覇気が失われて行っちゃうのを感じる。
 
 
昔、大河ドラマを見ていた時のセリフに、

「人は、どこまででも逃げることができる。
 ただ、逃げて逃げて、行きつく先は、地獄」

といったものがあった。
 
 
たしかに、自分にとって辛いものから逃げ続ければ、
行きつく先は「地獄」なのかもしれない。

人は、成長をするために生きているのかもしれない。
 
 
 
でも、そんなことよりもなによりも、
まず自分の中に生命力を感じるために日々を頑張ってみる。
なんてのも、アリかもしれない。
 
 
自分を野菜にたとえるならば。
 
スーパーに並んでいる、
色も形もみんな揃っているけど、生命力に乏しい、
プラスチックのような野菜になるよりも、

大きな虫食いの穴があったり、
形がいびつで、ひん曲がったりしているけれど、
ほとばしるような生命力を秘めた野菜。

そんな風に生きていければいいなー、と思う。
 
 
今の自分に出来ることを、ひとつずつ。

今回も手紙を読んでくれて、本当にありがとう。
ではまた、手紙を書きます。


空也
 
 





使命

 
こんにちは、空也です。

「自分がやるべきことって、なんなんだろう?」

「自分は一体、なんのために生まれてきたんだろう?」

そんな「くすぶり」を感じることって、あるよね?
 
 
 
そして、私を含めた大部分の人が、
自分のやるべきミッションを探しに、外へと旅立つ。
 
 
いろんな本を読み、
 
いろんな勉強会やセミナーに参加し、
 
いろんな人と出会い・・・
 
 
しかし、それでも自分のミッションはみつからない。
 
「こんなに探しているのに、
 なんで私は、私のやりたいことが分からないんだろう?」

と、嘆く。
 
 
 
でも、それは当り前のことなのだ。
 
 
子供ならばともかく、ある程度の大人になってしまっている我々は、
ミッションを見つけようとしても、絶対にみつからない。

本を読み、セミナーに参加し、人と出会って
知識を増やせば増やすほど、ミッションを見つけることからは
遠ざかってしまう。
 
 
なぜなら、
 
ミッションは、一人ひとりの心の中にすでにあり、
多くの知識、経験、常識、損得勘定が、
その人自身のミッションを見えなくさせているから。
 
 
だから、
 
 
自分のミッションが見つけたいのであったら、
知識を外から吸収するのではなく、

逆に、今まで得てきた知識、経験、常識、損得勘定を
手放していかなければみつからない。

自分の中にすでに持っているものの中で、
どんなことがあっても手放せないものって、なんだろう?
 
 
今の職を失ったとしても、

今の友達を失ったとしても、

今の健康を失ったとしても、

今の日本がどうなったとしても、
 
 

それでも、自分はコレをやっていきたいなぁ、と感じるもの。

それがミッションなんじゃないかな?と思うんだよね。
 
 
大切なのは、「感じること」。

ここでまた、考えはじめてしまうと、また外からのインプットに
コントロールされてしまう。

誰にも褒められず、お金にもならない、
自分でも人よりうまく出来ているなんて思えない。

でも、
 
なぜか時間を使ってやっていたり、
そのことを思い浮かべるだけで、じんわり ワクワクするようなこと。
 
 
それがミッションなんじゃないかなー、と思う次第。
 
 
自分の中にある全てを、じゃんじゃん掃除していった先に
たったひとつだけ残った、キラキラ輝くもの。

それが見つかった時、なぜだか知らないけれど、

今までやってきたことが、パズルのピースのようにつながり、

不足しているピースが外からもたらされ、

あなたのパズルが組みあがる。
 
 
そして、
 
そのパズルは、一枚の扉となり、

その扉をあなたが開いた瞬間から、
また新しい道が広がり、旅が始まるのだ。
 
 
 

今回の記事を書くきっかけを作ってくれた
さくちゃんに感謝をこめて。

今回も手紙を読んでくれて、本当にありがとう。
ではまた、手紙を書きます。
 

生まれ変わってるじゃない!?

 
こんにちは、空也です。

「もう!生まれ変わって、やり直したいっ!!!」

何年も生きていると、そんな風に思うことって、あるよね?
 
 
今の記憶を持ったまま、輪廻転生して「次」を迎えられれば、
私ったら、無敵じゃね?
なんて妄想してみたりもする。
 
 
 
ただね。
こうも考えられる。
 
 
もう、私たちは、今の人生を送っていながら、
生きながらにして「輪廻転生」をしている。って。
 
 
 

 
「おいおい、どうしちゃったの?空也?」

「スピリチュアルにハマっちゃったの?」

「もどってこーい!」
 
 
なんて思う前に、まぁ聞いてや。
 
 
 
 
私たち一人ひとりは、過去の記憶を持って日々生きている。
でも、その記憶って、けっこう断片的だったりもするよね。
 
 
3日前に食べたランチを、即答で答えられる?

自分が今、寝起きしている部屋の見取り図を
正確に書くことはできる?

子供のころに言われて、今でも胸に残っている言葉は、
一言一句、正確に記憶の通りなんだろうか?
 
 
全てに自信をもって答えられる人って、少ないんじゃないかな?
 
 
 
そんなあいまいな記憶をたよりに日々を繰り返して、
同じような問題にぶつかったかと思うと、
また同じような失敗を繰り返しちゃったりもする。
 
 
これは、いろんな人間関係やそのほかのトラブルにおいて
「輪廻」を繰り返して、また同じ問題に向き合っているとも
言えるんじゃないのかな?比喩的にだけれどね。
 
 
 
あと、名前。

もちろん本名は、生まれた時から
そう何回も変わる訳じゃないけれど、
「あだ名」とか「呼ばれ方」って、結構変わったりしない?
 
 
たとえば「山田 太郎」という名前の人だって、

赤ちゃんのころは「タロちゃん」だったかもしれないし、

小学生のころは「ヤマダッチ」だったかもしれない。

思春期には「TARO」なんて呼ばれてたかもしれないし、

大人になったら「山田さん」と呼ばれることが多いかもしれない。
 
 
 
もちろん、会う人によって
呼ばれ方が違っていたりもするだろうし、
役割名で呼ばれたりもすることもあると思う。

ただ、その時のメインの呼ばれ方が違うというのは、
実は、生きながらにして「輪廻転生」しちゃったんだ。
なんて考えることも、できなくないんじゃないかな?
 
 
 
 
私自身も、何回も自分の呼ばれ方が変わっている。

今の「空也」なんて、実はまだ2年くらいの付き合いだしね(笑)
 
 
 
自分が自分を「空也」と呼び、人から呼ばれている時は
「空也」の人生を生き、

また別の名前の時には、その時に必要な人生を生きる。

同じような過ちも繰り返しながら、
過去の記憶を頼りに、よりよい方向へと進もうとする。

これって、そのまま「輪廻転生」じゃない?

なんて捉え方も、できなくはないよね?
 
 
 
 
いま、これを読んでくれているあなたは、
今、誰に、どんな風に呼ばれているだろう?

そして、過去はどんな風に呼ばれていて、
その時の課題はなんだっただろう?
 
 
 
クリアした課題。
まだクリアできていない課題。
 
 
 
いろいろあるだろうけれど、

「過去の記憶を持ったまま
 輪廻転生できているなんて、ラッキー!」
 
 
なんて捉えて、今あなたが抱えているチャレンジに当たっても
面白いかもしれませんねー
 
 
  
今回の話は、先日飲みに行ったKさんから聞いた話を
大ヒントに書かせていただきました。
 
 

人生の学びは、たいてい居酒屋に転がっている By 空也(笑)
 
 
 

Kさん、ありがとうございました~
また、飲みに行きましょう~

謙遜は、エゴ。

「私なんて、大した才能ないよね」

「私よりも上手い人、詳しい人なんてたくさんいる」

「だから、自分が人に提供するなんて、自信がない」
 
 
そんな風に尻込みをしてしまうことって、あるよね。
 
 
 
私自身も、よく尻込みしてしまうことはあるし、
いつも自信満々で行動できる人を、うらやましいとも思う。
 
 
ただ、

「自分の知っている事、持っている事なんて
 大したものじゃないから、どこにも発信しない」

なんて言って行動をためらっているのは、
実は、ものすごいエゴだと思う。
 
 
本人はエゴのつもりなんてないだろうし、
むしろ謙遜という美徳のつもりかもしれないけれど、
やっぱり、行動をためらうのはエゴだと思う。
 
 
なぜなら、
あなたの知っている事や持っているもの・スキルが

「大したものか、大したものじゃないのか」

を判断できるのは、あなた自身じゃなくて、
あなた以外の誰かであり、世間だから。
 
 
 
たとえば、あなたが今、
コップ一杯の水道水を持っていたとしよう。
 
どこにでもある、なんの変哲もない水道水だ。
大したものじゃない。
  
 
でも、たった今砂漠を横断してきて、
命からがら生き延びてきた人にとって、
あなたの持っている水道水は、どれだけの価値があるだろう?

その砂漠を横断してきた人は、
あなたの持っている水道水を、それこそ
命を削る思いで欲しているわけだ。
 
 
でも、
 
あなたは、
 
「だって、この水道水って、どこにでも手に入るし」
 
「これよりも、もっとおいしい水なんて、いくらでもあるし」
 
と言って、その人に手渡さなかったら、
砂漠を横断してきた人は、一体どうなるだろう?
 
 
そして、

今、あなたが知っている事、持っているものやスキルが、
誰かにとっての「水道水」じゃないと、どうして言いきれるだろう?
 
 
 
 
 
あなたが、もし自分の知っている事や持っているもの・スキルを

「こんなの大したことじゃない」

「もっとすごい人が、世の中にたくさんいる」

という理由で、発信をためらっているのであれば、
 
それは謙遜だけではなく、
 
 
「もし、発信した結果、
 誰からも相手にされなかったらどうしよう?」

「自分が発信したのに、バカにされたら恥ずかしい」
 
 
 
という、個人的な思い(=エゴ)がないのかを、
ちょっと考えて見てもいいかもしれないよね。
 
 
 
 

 
 
自分の価値は、自分で決めるという部分もあるかもしれない。
 

でも、
 
あなたが持っているものは、外に出してみなければ
価値の判断しようがない。
 
 
自分で自分を過小評価する前に、

「私は、こんなものを持っています」

と、勇気をもって発信してみるのもいいかもしれないね。
 
 
あなたが知っていること、持っているものやスキルによって、
それこそ砂漠でオアシスをみつけたような救いになる人が
世の中にいるかもしれないのだから。
 
 
 
今回の記事のきっかけになってくれた
Nさんに感謝をこめて。

 
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